フライパンの寝言 - 藤村隆三郎
第1回 半世紀そのまま、パリのビストロ
今年もまた、秋口に1週間ほど店を閉めた。
ヨーロッパへ出かけて土地の料理を食してくるためである。
毎年出かける。
ハンガリーのこともあれば、イタリアのこともあるが、たいていはフランスである。
今年はほとんどパリで過ごした。
京都の祇園で小さなフランス料理店を開いてから、今年でちょうど35年になる。
節目、という気持ちもあって、いままでやってきたメニューをもう一度見直したい、そのためにもパリのフレンチ事情を見てこようと思った。
パリのフレンチはこう変わった、という情報は日本にも届いている。
ほんとうか、どうか。
9月16日朝8時、伊丹を発ったANAは、16日午後4時40分シャルル・ド・ゴール空港に着いた。
9月のパリの空はいつも曇っている。
セーヌ川も空を映してどんよりしている。
が、今日はめずらしくさっぱりとした空が迎えてくれた。
薄い青色の空に、白い秋の雲が浮かんでいた。
ホテルを出て、セーヌに架かるポンヌフをカルチェラタンへと渡り、サンアンドレのビストロ・アラールに向かったときは、日がとっぷり暮れていた。
この界隈は、パリにくるたびに歩く。
昔はオレンジ色の街灯が、石畳を照らしていたものだ。
ノスタルジックな思いとともに、いまゆっくりと路地を歩きながら、気分が軽やかなのを感じる。
毎日お客さまのためにフライパンを握っているから、こうやって自分がお客となって食べに行くときは、いつもひそかな開放感のようなものがあるのだ。
ましてや、今夜はパリのフレンチである。
しかも、いま行こうとしているのは、私にとって特別な店なのだ。
いつものこととはいえ、ふと足取りも軽い。
クリスティーヌ館の前を過ぎる。
アラールと書かれた1930年の看板は控え目である。
入ると、ギャルソンが「ボンソワ、ムッシュ」と言い、席に案内する。何も変わっていない。
ギシギシいう床も、満席の賑わいも、初めてこの店に来たころから、何も変わっていない。
メニューもそうだ。
50年前から変わっていない。信じられないだろうが、ほんの少しの入れ替わりを除けば、ずっと同じなのだ。
そのことに、私は深々と安堵する。
50年前、私はパリにいた。貧しくて、そして貪欲だった。
メモと鉛筆を持って、レストランの入口に出ている献立表を写して歩いた。
アラールのテーブルに座るたびに、あの時代のパリが甦る。
古き良きパリの匂いが漂ってくる。
その時代こそが、私の料理の原点といっていい。
その時代が、いま手にしているメニューのうえにそのままある。
アラールは、毅然として、時代に流されることがない。
だから、私もまた、流されないでやってきた。
私のフレンチのベースは、あるいは古いかもしれない。
しかし、アラールの、蒙昧ともいえる頑固一徹の献立表は、古くてもいいのだと私を安心させてくれる。
もしもアラールのメニューが変わったら、私の料理も変わるかもしれない。
たぶん変わるだろう。
アラールは、私にとってそういう店だ。
50年前と同じメニューを眺めながら、私は幸せな気分になる。
俺の料理はまだまだ大丈夫だ、と思う。
私はきっと小さな笑みを漏らしたに違いない。
そして、どのレストランでも味わうことのない心地よい空腹を、突然覚えた。
ギャルソンが注文を取りにくる。
さて、何を食おうか。
2009年10月07日 10:25
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