音曲祝祭行 - 大木雄高
日本人の笑顔と風のインプロピゼーション
11月の末、テレビの報道ステーションで、アラーキーこと荒木経惟が撮り続けている「日本人の顔」の特集をやっていた。大阪、福岡、鹿児島、石川、青森、佐賀と数年前から回って来て、今年は7月3日〜5日に広島だった。7年間続く「日本人の顔プロジェクト」は当の荒木経惟に言わせると、「人間が一番表現しているのが顔」でつまり「顔が一番裸だ」となる。特に今回は“もっと生きる”ことが良いねえと語っていた。勿論被爆都市広島の被爆者本人またはその子女が懸命に生きている「顔」のことを言っている。当然1945年8月6日は今だ続いているのだ。広島出身の俺は或る日のことを思い出した。
2005年9月1日、六十歳を迎えた俺と女優と女性ライターは、還暦祝いの世話人と内容の打ち合わせをしていたが、『過夏六十の宴』とタイトルは付けてもなかなか話が前に進まない。「レディ・ジェーン」の店内では、やはり数年前から毎月続いている荒木経惟の別企画、「ポラノグラフィー」(ポラロイドで撮った写真展)の初日打ち上げでやんややんや盛り上がっていた。敗戦と原爆投下の年に生まれ、廃墟の東京、或いは全滅の広島から似非〈戦後民主主義〉の下、高度経済成長をそのまま生きて来た俺たちが祝ってもらうには、少々心が歪んでいたからだ。ついでに、60年安保に生まれた〈所得倍増〉の池田勇人内閣の、高度経済成長計画の総決算だった東京オリンピックがあったのは、64年俺たちの大学受験の年だった。等と思い出しつつ、「アラーキーが『日本人の顔』を撮り続けているけど、すいとんやら大豆粥をくった俺たちとちょっと後世代までが、昭和の顔を維持しているが、後は日本人の顔じゃあないよ」と俺が言った。実際長く続きすぎた昭和の後期生まれになると、顔は勿論、背丈や骨組みがまったく違って、例えば時代劇流行りの昨今、
男も女も着物の着こなしや
まげ姿が陳腐で存在感も
リアリティも無くてどうしようもない。
翌9月2日、映画館「シネマアートン下北沢」で毎年組んでいた戦争特集の『敗戦六十年の愛と希望』と題して企画した篠田正浩の『あかね雲』、増村保造の『赤い天使』、ヴィットリオ・デ・シーカの『ふたりの女』が上映を明日に控えていた。能登出身の遊女が脱走兵を匿いねんごろになって騙される水上勉の原作、天津から前線に配属された従軍看護婦が、好きになった軍医とコレラ禍に襲われた村に閉じ込められる有馬頼親の原作、イタリヤ戦線の戦時下を母親と娘の二人の女が逃げ惑うアルベルト・モラビヤの原作の映画は、いずれも戦争の犠牲になる女を主人公にしていた。
翌9月3日、夜中になって撮影のたむらまさきと監督の青山真治がやって来たが、監督が帰ってからは、何故か50年代は朝鮮戦争、60年70年代はヴェトナム戦争に戦車や武器を大量に製造輸出していて、東アジア反日武装戦線にビル爆破された三菱重工業ビル爆破事件に話が及び、山田太一のドラマ「岸辺のアルバム」を地でいく、重役を親に持った仲間だった女優の一家崩壊物語を思い出して、西宮に住む彼女に電話をした。酔っぱらってはする悪い癖だ。六時、横に長細い小さな窓からエッジを鋭くして朝日が射るように差し込んでもしらじらしかった。
翌9月4日、サンディライブを終えた23時あたりから暴風雨になった。2時3時頃になるとますます激しさを増して、あっという間に「レディ・ジェーン」のカウンター内が20〜25センチの池になった。自宅からも地下室に水が流れ込んでいると電話、「岸辺のアルバム」下北沢版じゃあ洒落にならねえと、カウンターのラム酒をあおり下水溝を突ついてみるが、何と愚かな、下水溝から逆流しているのじゃないか!表の道路は当然川となって下水溝からは噴水を立ち上げていた。すると、朝になると雨も風も止み店内の水も引いて行った。嘘のような自然の悪戯に呆気にとられ、風景が流されたように思い煩う瑣末のこだわりも流されて、爽快感だけが残った。
戦前戦中戦後は四日間の出来事とは違う。
だが銀河系から観れば
芥子粒にもならない同じこと。
だからそうやって〈笑顔〉で生きているのか。

2010年01月19日 10:16
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